このまえ「人間は喰ったもので出来ている。おいしいものを、心通う人と分かち合い、よい時間を重ねてゆく。これこそが明日の活力であり、しあわせです。感謝」ということを書きました。
追記するならば…
そんなしあわせな時間を過ごすとき、いつも思うのが豊かさとは何だろう。不景気、世界恐慌という言葉が連日横行していますが、家族や友人たちと有意義な時間を過ごす…楽しい会話をする。まるで世の中のGNPと何も関係ないけれど、ものすごく豊かなことです。逆に云うと、貧困ってなんだろう。貧困を生みだしているのはなんだろうか。
今日10月15日は「Blog Action Day」。 世界中のブロガーが一つのテーマについて何かを行おうという企画。去年のテーマは環境でした。そして今年は「貧困」。貧困は世界の問題であり、また私たち個人レベルでも決して他人事ではない問題。それをどう考えるか…
貧困は、あるいは第三者との接触/フリクション=摩擦によって生まれるのかもしれない。例えば孤島で孤独の中にいても、たわわの果物と海の幸に恵まれていれば、それは豊かさであり「富」であり得る。もし食べ物が何もなければ、それは「餓え」であって貧困とは違う。貧困は「流通」「比較」「競争」といった、第三者が居ることで成り立つことのなかに存在するトラップのような気がしてなりません。
同時にやっぱり孤独では生きていけません。人の手は誰かを殴ることができる一方で、手当することもできるスグレモノ。手助けすることを GIVE A HAND と云います。私の両手は何のためにあるのだろう。この手で何ができるのだろう。
100%正解の答はないけれど、日々のなかで出来ることは必ず…ある。
同じティッシュを買うならばネピア・千のトイレプロジェクトの一箱を選ぶとか、ベルマークを集めてみるとか、水を買うならVolvicにしてみるとか。やれることが思いつかなくても、やれるチャンスは案外いっぱい提供されています。
まだ私自身が体験していませんし、システムの全てを把握していないので無責任なことは云えませんが、とても興味深く受け止めている存在の一つが KIVA というSNSです。
「ほんのわずかな資金がないために、日々の仕事が立ち行かなくなり、貧困にあえぐ人々がいます。必要としている人にお金を貸すことで、その人が自ら貧困から抜けだせるよう手助けをする。当然、借りる人は事前にきちんと審査されています。貸す人は$25から援助でき、借りた人の仕事がうまく行けば返済してもらえます。」 (直訳すると、こんなカンジかな?)
通常、一般人が「援助したい」と思ったら国や組織を通じて「寄付」をする場合がほとんではないでしょうか。KIVAは「あげる」のではなく「貸す」のです。良い例えかどうか分りませんが、簡単に云うと「個人レベルのAP BANK」みたいなものかな…?
現在、日本語にサイトも翻訳されつつあるようです。かつて「あ、お醤油きらした」とか云ってご近所から借りることがありましたよね。いつの間にかコミュニティというものが曖昧になって、交流が難しくなりました。けれどKIVAはネットを通じて世界が「ご近所コミュニティ」になる感覚のようで、かなり注目しています。
「和」を探して…