「植物から染まる色は、単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が色をとおして映し出されている」 染織家・志村ふくみさんの言葉です。
同じ色や形を見ても、好きだったりそうでなかったり。訴えかけてくる「何か」とは何なのか。きっと私たちは感覚のすべてを駆使しながら見えるものの、もっと奧にある「本当のもの」を求めているのでしょう。
ソレがソレに至るまでに通ってきた全ての道のりを、私たちは「ソレ」として受けとるわけです。人間も、その人が経験してきた全てがその人である。一つ一つを大切に味わい、そして大事にしたい。とりわけ新しい体験には心躍ります。
どじょうを食べました。東京に居ながらにして、なぜ今まで食べなかったのか。
「ささがしの 牛蒡のそばで 皆殺し」 古川柳のごとく、たっぷりの笹掻きゴボウに、刻んだネギをどっさり入れて、浅鍋の中で煮えてゆくどじょう。くー。姿まんまの「まる」と、開いた「ぬき」…どじょうをどう頂くか。「ぬき」は食べやすい分、いささかパサパサ感がありました。私は「まる」が好み。
「どじゃう汁 女房となりへ行っている」 江戸の人たちは煮立った鍋に、生きたままのどじょうを放り込んだそうです。それこそ阿鼻叫喚。地獄絵図。そんなビジュアルに耐えられず、女性たちは見ないようにしてたのでしょう。でも結局のところ、できあがっちまえば旨いから食べる。ほほほ。業の深いことよ。
人間は喰ったもので出来ている。おいしいものを、心通う人と分かち合い、よい時間を重ねてゆく。これこそが明日の活力であり、しあわせです。感謝。
