今年もまたお盆が巡ってきた。お迎え火を焚くのは決まって祖母の役割だったのが、いつのまに私に代替わりして久しい。記憶の中の祖母はいつも一人で小さな焚火をしては、先祖を送迎していた。私はしょっちゅう祖母にまとわりついていたくせに、どうしてそれだけは手伝わずに遠くから見ていただけなのだろう。
一人で黙々とお迎え火を焚きながら、彼女は何を思っていたのか。いま私は一人黙々と火を見つめながら、そんな祖母のことを考える。そして私が逝ったあかつきには、もう先祖たちも、私自身も、この世に里帰りすることはないのだろうか。もっとも、現世でも盆暮れに帰省する人は減りつつある昨今。三途の川を越えるなんて尚更に流行らないかもしれないが。
子供のころ、お迎え火を焚いた晩には必ずトウスミトンボが家の中に入ってきた。ひょろひょろと透けるような頼りないトンボを「ほら、おじいさんだよ」などと云いながら歓迎したものだ。そのトウスミトンボを見なくなってどのくらいだろう。都会には生息していないのか。それとも私の焚火では道しるべにならないのか。いずれにしても、なんだか寂しい。
ちなみにトウスミトンボを辞典で調べたら、灯心蜻蛉と書いて、トウシミトンボと読むのが正しいらしい。イトトンボの異称だとか。ふーん。
夕方になって、しきりにカナブンが網戸に体当たりしている。何度網戸にはじき返されても一向に諦める気配の無いカナブン。ふと「あれ、もしかして…おじいちゃん? おばあちゃん? それとも…」と、考えてるうちに可笑しくなった。ホントにうちは皆とっとと死んじゃうんだな。これじゃか細いトウスミトンボでは、先立った家族たちの魂を背負ってたつのは無理からぬこと。それで丸々と大きなカナブンに成り代わったわけか。合点。だがカナブンには申し訳ないけれど、やっぱりトウスミトンボじゃないとね。風情のカケラもありませんなー。ふふふ。