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祝・新年! あむあむふわわ・セールを開催します♥
★★あむあむふわわお正月セール★★
期間:2010年1月2日(土)〜
場所:伊勢丹新宿本店7階/呉服
新宿マルイワン4階 豆千代モダン新宿店
あむあむふわわネットショップ http://amamfwawa.cart.fc2.com
ネットショップでは最大30%OFF!皆様のお越しをお待ちしています!
今日は国立博物館にて「土偶展」を満喫してきました。縄文のスーパースター、土偶!各地の土偶オールスターが一同に会する夢の舞台でした。
そして、その土偶たちを眺める人たちの着物姿を見るのも楽しかったです。豪華な晴れ着の人、アンティークを上手に組み合わせた人、着心地の良さそうな紬をラフに着こなしてる人… 私も、今年はもっともっとキモノを着たいなと刺激されました〜!


好きなものだけを取り分けたら… (甘いもんばっかやんけーっ)
あぁ、トラだぁー と、なんだか嬉しくなりました。 (配色ね)
食べるものまで縁起物でありんす…と、妙にトラに反応してしまいます。
三が日、なんとなくマンネリ化傾向の食卓を楽しくするのが箸置きであります。
どれにしようかな〜。
この時期しか使わないものを、あれこれ選ぶのも味わいの一つです。

年賀状なり、年賀メールというのは面倒だけれど嬉しいものであります。日々の忙しさを言い訳に疎遠になりがちな人たちと再会のきっかけを与えてくれる。友人の某とも前の大晦日以来なので、ゆっくり会ったのは一年以上ぶり。一年の間にはいろいろあって、いつ尽きるともなく、ひさしぶりにおしゃべり三昧の夜を楽しみました。
舞台となったのは笹塚にあるガレット屋さん、Maison Bretonne。美味しいらしいよー、という情報を頼りに行ってみたら大正解!メニューの上から下まで味見したいくらい。あんなに薄っぺらいのに、すごい満足感。そしてお腹いっぱいなはずなのに、なぜかどんどん追加できるデザート。うーん、クセになります。
私が着ていたキモノに反応してくれて、いつの間にか店員さんたちともおしゃべりの輪が広がりました。要するに、食事というのは食料を胃に詰め込む作業ではない。地球の恵みと、人の手から伝わる愛と、分かち合う時間。それらが一体となり「おいしさ」や「滋養」を頂くことができるのですね。
ごちそうさまでした。

いい夜は、何故かいつも歩きたくなるのです。この晩も、約40分の道のりを星見ウォーキング。ニットのNOBUNAGAコート(只今セール開催中!)侮るべからず。かなり冷え込んだ夜でしたが寒くなかった。

NOBUNAGAの下は、濃紺の紬です。お正月気分を出そうと、白いおもちゃ柄の塩瀬の名古屋帯を締めました。前腹には干支のトラくんもいます。
今、新宿伊勢丹7Fにて「森ガール」をテーマにして呉服売り場が楽しくなっているようです。 …と、云いつつまだ自分で確認していないんですが。ごめんなさい〜(汗っ)
聞いたところによると、森ガールセレクトのリサイクル着物がかなり可愛いとか。
そして、私の手作り石けんも参加させて頂いてます。初おめみえの新作石けんもありますので、よかったらチェックしてください。
ステキな着物momokoドールもありますよー。
歌舞伎座の建替えに向けて「さよなら公演」が行われています。皆さん、今の歌舞伎座を心に焼き付けておきたいのでしょうね。かく言う私もその一人ではありますが、チケットは争奪戦状態で、はなから諦めていました。
ところが!
友人が急に行かれなくなったから…と、ご近所の方が私に声をかけてくださったのです。おぉ〜、なんと恵まれていることか。しかも当日はカウントダウン100日というキリの良い数字で、なおのことラッキー感が増しました☆
「春の寿」という美しい舞踊に始まり、「菅原伝授手習鑑」、「京鹿子娘道成寺」「与話情浮名横櫛」という演目でした。
「道成寺」は清姫が安珍を追いかけて日高川を越えてゆく場面が印象深いですが、今回はその後のストーリー。かつて焼かれてしまった撞鐘が再興されるところに、白拍子がやってくるが、実は彼女は清姫の怨霊だったのです。白拍子を演じる中村勘三郎さんの見事な舞いと、ヘビの脱皮のごとくに次々と衣装が変わる引き抜きにドキドキしました。どうしても踊りは船漕ぎタイムになりがちなんですが(ごめんなさい!)、今回は目が釘付けです。
そして「与話情浮名横櫛」の恋話にすっかり引き込まれました。お富と与三郎は激しく恋に落ちるものの、お富にはコワイ旦那がついています。引き裂かれた2人は互いが死んだものと思っていたところ…
う〜ん、人は何故に恋をしてしまうのだろう。いっそ誰も好きにならなければ、こんなに苦しまなくていいのに。それでも、胸に灯る火を消すことができない。それどころか、その苦しみさえもが喜びのように思えてきてしまう。
はぁ〜。悶々。

久しぶりに友人を訪ねた。新幹線からローカル線に乗り継ぎ、少しずつ自分の日常から離れるにつれ、旧交が近づいてゆく。
日常というのは、つまりシガラミだったり、「やり過ごす」ことだったり、そこはかとない諦めが漂う。またそれは果てし無い、待ち時間でもあるように思う。夜に夜明けを待ち、誰かからの連絡を待ち、食事ができるのを待ち、寒さの中で温かな陽射しを待ち、給料を待ち、健康診断の結果を待ち、明日の訪れを待ち、やがて己の没するのを待つ。その待ち時間に何をするのか。仕事に没頭する人、趣味を満喫する人、色恋に身を焦がす人。何もしない人。
一年前に病気で夫を亡くした友人は、意外というか、やっぱりというか、とても元気そうだった。何かを失った人ではなく、むしろ何かを得た人に見えた。もちろん、最愛の夫が逝ってしまったことは哀しいことだけれど、2人は決して離ればなれではない。同じ屋根の下で暮らし、同じ食卓につきながら遠く離れている人たちをいくらも知っている。彼女からは、そんな虚しさが臭ってこない。死別でも離別でも、それぞれが生きるべき人生をしっかりと生きるために、前向きな別れというのが在るのだと改めて確認した。神の采配があるとするならば、それこそが神様が与えた「哀しみ」の意味なのかもしれない。
不在であることは、その人を消滅させることではない。友人の夫はやりかけの仕事や、年老いた両親や、思想やいろいろなものを残した。人は不在にしてなお、宿題を与え続け、後に残る人間の成長を促すのかもしれない。そしてどんなに遠く離れていても、想いを寄せれば、その人はいつでもまざまざと存在する。
たっぷりのおしゃべりと、美味しい料理をごちそうになって私は日常に戻った。以前より「もっとちゃんと、毎日を丁寧に生きよう」と思いながら、再び私は待っている。三途の川を越えた人。遠く海を渡った人。ワケあって会えなくなっちゃった人。
また、あなたに会えるのを私は楽しみに待っています。
